更科六兵衛は実在する人物なのか?
更科六兵衛は実在の人物ではありません。
笠原新六郎という武将がモデルになっていると言われています。
では、笠原新六郎とはどういった人物なのでしょうか。
笠原新六郎には色々な説が残っている謎の人物なのです。
笠原新六郎は笠原新六郎政晴(笠原政晴・笠原政尭・市原隼人佐)とも称されている。
北条家筆頭家臣でありながら武田に寝返ったが、武田家が滅亡した後は父(憲秀)の取りなしを受け北条氏に帰参。剃髪して正巌と号しましたが、小田原攻めの際、秀吉との内通が露見し殺害された人物として残っています。
一方で、新六郎は僧(正巌和尚)になり、静岡県三島市の蔵六寺を開山し、寛永3年(1626年)に60歳で病死したとする同寺の寺伝が残っています。
蔵六寺には「正巌和尚の墓」となる墓石がありますが、同じ三島市の法華寺にも「笠原隼人佐の墓」なる墓石があります。
更科六兵衛
#映画で印象に残っている幽霊 pic.twitter.com/TVXSzmvo4A— りくどめい (@souta_80) November 7, 2016
りくどめいさんツイッターより
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