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赤塚不二夫の死因は?若い頃の写真や名言/エピソードなどを紹介

新型コロナウイルスによるGW自粛で自宅で過ごされる方は多いと思いますが、ゴールデンウィーク期間中赤塚不二夫作品を無料で読むことが出来るサービスが配信されました。

昭和生まれなら、TVアニメで必ず観たことがあるであろう赤塚不二夫作品。

赤塚不二夫先生を偲んで是非この機会に読んでみたいと思いませんか?

そこで気になった、赤塚不二夫先生の死因や若い頃のエピソードなどを紹介したいと思います。

赤塚不二夫の死因は?

赤塚不二夫先生の訃報はニュースで知りましたが、数十年前なので詳細を忘れた方も多いのではないでしょうか?

赤塚不二夫先生は享年72歳(満74歳)でした。

死因は肺炎です。

2002年に脳内出血で手術以降、一切の創作活動を休止されています。

2004年からは意識不明の植物状態まま2008年8月2日に肺炎で逝去されました。

赤塚不二夫の若い頃

1935年9月14日、中国生まれです。

赤塚不二夫先生は、父親(新潟県出身)が満州(中国)で宣撫官(※占領軍の目的や方針などを知らせて、人心を安定させることを任務とする軍属)としての任務に付いており、満州で芸子をしていた母親(奈良県出身)と結婚し6人の弟妹の長男として育ちました。

戦後の敗退により中国人から日本人が虐殺される中、日頃から地元の中国人に親切に接していた父親の部下の手助けで難を逃れる事が出来ました。

1946年帰国し、家庭の金銭的事情から高校進学を諦め映画の看板を制作する新潟市内の看板屋小熊塗装店に就職します。映画館の管理人と仲よくなり映画を無料で鑑賞できる事となりました。そこで、チャーリー・チャップリンのなどの喜劇に感銘を受けたようです。

18歳で状況し、化学薬品工場で働きながら「漫画少年」への投稿を続け、「漫画少年」休刊後プロの漫画家として活動し始めました。1956年「嵐をこえて」でデビュー

この頃トキワ荘で活動していましたが、赤塚不二夫先生は「トキワ荘一の美青年」だったそうです。

1961年、当時21歳だったアシスタントの稲生登茂子さんとの結婚のためにトキワ荘を退去。登茂子さんとの間に生まれたのが、娘の赤塚りえ子さんです。

1962年、「週刊少年サンデー」で「おそ松くん」「りぼん」で「ひみつのアッコちゃん」の連載を開始し、一躍人気作家となりました。1964年、「おそ松くん」で第10回小学館漫画賞受賞

1967年には「週刊少年マガジン」で「天才バカボン」「週刊少年サンデー」で「もーれつア太郎」を発表して天才ギャグ作家として時代の寵児となりました。

1973年には登茂子さんと離婚し、1987年に写真家の国玉照雄の元アシスタントで、スタイリストの鈴木眞知子さんと再婚

1982年より、酒量が激増し1987年アルコール中依存症に陥り、1991年頃より更に酒量が増え始め治療のため入退院を繰り返すものの回復の兆しはありませんでした。

1997年12月12日吐血で入院。精密検査で食道がんが発覚するも24日には退院を強行します。しかし、その後悪化し再入院。手術を受け、5か月間の長期で体重は13キロ減少しました。それでも酒とタバコはやめられず、その後も毎月定期的にアルコール依存症治療の「ウォッシュアウト」のための入院を2002年に脳内出血で創作活動を休止するまで繰り返すことになります。

2008年8月2日、肺炎により逝去。

生前の最後の言葉は、「おっぱいだ、おっぱい」。
原稿に記した最後の文字「思い出を積み重ねていくのが人生なのよ.イヤーン!H」

赤塚不二夫のエピソード

エピソード1

1987年に写真家の国玉照雄の元アシスタントで、スタイリストの鈴木眞知子さんと再婚。結婚にあたっては先妻である登茂子さんが後押し、なんと結婚記者会見には登茂子さんとりえ子さん同席でした。

エピソード2

食道がんの告知の際「食道を摘出し小腸の一部を食道の代用として移植する」と手術内容を聞かされた際「小腸を食道に使ったら、口からウンチが出てきちゃうんじゃないの?」とギャグで返す。

エピソード3

食道がんの手術で5ヶ月の入院により体重が13キロ激減するも、退院後のインタビューでは水割りを片手にインタビューを受ける型破りなパフォーマンスを見せる。

赤塚不二夫のおすすめ本

スペクテイター 38号 赤塚不二夫

[定価]1,100円

この本、赤塚漫画についての歴史的価値のある証言がいっぱいある。フジオプロのメンバーや担当編集者を細かく網羅して、赤塚漫画の製作過程や日常の様子を詳しく証言させていて、早期から上昇期、最盛期、アル中期?、晩年と、赤塚不二夫の漫画の創作の秘密、展開、歴史、赤塚不二夫の人生が詳しくわかる。高井研一郎、北見健一、武居俊樹、五十嵐隆夫などなどの証言がすごく良かった。赤塚の才能や愛されるキャラに涙が出た。まえに、PEN+の特集本が赤塚本のベストだと思ったけど、資料的価値では断然こちらがベストですね。それにしても、本書の編集スタッフの努力、偉業に脱帽。 〜amazonレビューより抜粋〜

少女漫画家 赤塚不二夫

[定価]2,200円

『天才バカボン』や『おそ松くん』などの代表作とは違う赤塚不二夫先生の別の顔が、本書にはあります。特に『ひみつのアッコちゃん』の上品な絵は、繊細で愛おしささえ感じます。沢山の作品が掲載されていますが、中でも「ひみつのアッコちゃん カン吉くんときよしこの夜」は、ぜひご一読いただきたいです。涙なしには読めません。 〜amazonレビューより抜粋〜

夜の赤塚不二夫

[定価]2,420円

80年代半ばの赤塚不二夫はキャリアの中で谷間にあったらしいと初めて知り、その頃の作品である「花ちゃん寝る」を中心に短編を収録してある。
赤塚不二夫と言えばあるバーで見たタモリに惚れ込み、自分のマンションに居候させるって話は有名だ。
あの頃の色んな文化人達がバーやスナックを溜まり場にして与太話や激論の末に外で殴り会いになるって事は日常であったと思うが、色事もまた色んな逸話があったのではないだろうか?
そんな根城を題材に書いた作品は抱腹絶倒で往年の才気が爆発してるものではないが、ある種の安定感と腰の据わりを感じる。
それは少年誌で熾烈な競争の中書いていた事からいい意味で降りたからだろう。
だからこそ余計キャラのおっさん達が案外生き生きしている。
赤塚自身もスナックのママをうまうまと頂きいい関係になったんじゃないか?とゲスな妄想をしながら読むとよりいっそう楽しめると思います。 〜amazonレビューより抜粋〜

まとめ

赤塚不二夫先生と言えば、飼い猫の菊千代君のファンでした。

私が猫好きなのもあり、菊千代君をテレビや雑誌に出ると「可愛いな〜」と見入っていました。

菊千代君はCMにも出ていて、ギャラ振込み用の「菊千代専用口座」があったそうです。

赤塚不二夫先生は、菊千代君の貯金からチョコチョコ酒代を借りていたそうですよ〜。

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